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南部馬の歴史4

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鎌倉・戦国時代~武士が競って求めた南部馬2

 

熊谷直実と権太栗毛(くまがいなおざねとごんたくりげ)

初めは平家の武将であったが、後に源氏方に付く。一ノ谷の合戦では平敦盛(当時16歳)と一騎打ちを演じることになる。合戦の混乱を利用して敦盛を逃したかったが、大勢の兵が見ていてそれも叶わず、断腸の思いでこれを討った。

※ちなみに膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣に見立て、がっしりした方をクマガイソウ、優しげな姿の方をアツモリソウと言う植物?か花?があるそうです。花色がそれぞれ白、赤っぽいため源氏の白旗、平氏の赤旗に見立てた命名とも言われているそうです。写真がなくて申し訳ありません。

 

那須与一(なすのよいち)と馬名不詳

一ノ谷の合戦にも敗れた平氏は、船に乗って瀬戸内海へ逃れた。岸辺で手をこまねいている源氏に向かって、船上に扇を高々と掲げ「これを射抜いてみよ」とはやしたてる。そこで義経軍きっての弓の名手・那須与一がこれに挑み、馬上のまま海中に進み、かぶら矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、扇は宙を舞い海に落ちた。

この写真を見る通り馬は泳げます。海を泳げるかは分かりませんが(汗)しかし馬にも性格があるので水が怖い、または嫌いな馬は泳ぐ事が出来ません。なのでこの写真の馬は大変良い馬だったんだろうなと私は思います。

♦木曽義仲の乱

木曽馬と南部馬の戦い=義経が勝利した後、武士たちは家財を投げ打っても南部馬を買い求めるようになった。以後、その傾向が江戸時代まで続きます。


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